アメリカ野球紀行

MLBのボールパーク、歴史を中心に紹介していきます。

ジム・トーミ(Jim Thome)像

Progressive Fieldの中にも銅像があります。

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MLB歴代8位の通算612本塁打の左の強打者、ジム・トーミ(Jim Thome)です。2018年に殿堂入りしてますが、クーパースタウンに飾られるレリーフにはIndiansの帽子を被っている姿を選んでいます。1991年~2012年まで23年の現役生活のうち、1991年~2002年、2011年の終盤とほぼ半分をIndiansで過ごしているので、当然ではありますね。

 

これは1995年のワールドシリーズ第6戦の強力Indians打線のラインナップです。トーミは7番に入っていますが、シーズン中はトーミが82試合と最も多く6番を打ち、投手に応じてマニー・ラミレスが6番を打っていました。この試合、相手先発はBravesトム・グラビンということで、7番です。

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恐るべき強力打線です。95年、私は野茂英雄ワールドシリーズというゲームをやりたくてセガサターンを買ったのですが、Indiansを選択していました。この年トーミは打率・314、本塁打は自己最多の25本。ここから600本を超えて殿堂入りする選手になると、どれほどの人が予想できたでしょうか。

 

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銅像は、まだ細かった若い時のものですね。ストッキングを上げるオールドスタイルが似合う選手でした。2012年にPhilliesで放った通算13本目のサヨナラホームランMLB新記録。いかに勝負強い選手だったかということでもありますね。

 

 

 

クリーブランドのホットドッグレース

プログレッシブ・フィールドのホットドッグレースです。

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先頭を走るのが、Miss.Onion、隠れていますが続いてKetchup、最後尾がMusatrd。

ミス・オニオン以外の二人にミスターとかつけなくていいかは覚えてません。。。調べたけど、分からない。ミス・オニオンだけ、敬称をつけて、他の二人がケチャップとマスタードと呼び捨てなのはどうかと思いつつ、呼び捨てっぽいです。

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Tribe Hot DogsというTwitterのアカウントも持っています。

https://twitter.com/tribehotdogs

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プログレッシブ・フィールドのホットドッグ

これは普通のホットドッグです。ただ、玉ねぎにあまり火を通していないスタイルですね。

 

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クリーブランドのホットドッグには一つ特徴があって、このハインツのケチャップとマスタードに挟まれたBertmanというクリーブランドの会社のバートマン・オリジナル・ボールパークマスタードが使えることです。ホットドッグの写真に写ってないですね。。。隠れちゃったかな。

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Indians 2 - Tigers 1 (2019/9/18)

クリーブランドでは2試合観戦しています。とにかく周辺も含めてボールパークをぐるぐる回りたいし、いろんな角度の席から試合を見たいので、一週間の旅行でMLBを見る場合は同じ場所で2試合見ることが多いです。

初めてのアメリカ旅行が4都市周遊チケット(最近はお得な周遊チケットなくなりましたね。)だったため、1都市で2試合のリズムを刻まれてしまったのかもしれません。

 

初戦は2時間45分で延長10回サヨナラという今どき珍しい超短時間ゲームでした。

https://www.baseball-reference.com/boxes/CLE/CLE201909180.shtml

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昨年のTigersはMLBワーストの114敗。ひざを痛めて12本塁打に終わったミゲル・カブレラを除けば、俊足のビクター・レイエス、ユーティリティのハロルド・カストロ、期待されながらも10本塁打に終わったクリスティン・スチュワートが注目選手。なかなか厳しいものがあります。先発のターンブルは昨年3勝17敗。まあ、MLB最多敗戦投手も見るのもいい機会ということにします。この試合は5回6安打1失点と粘りました。

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Spencer Turnbull

Indians先発アーロン・シーバリは7回2/3を4安打1失点。若き技巧派右腕、これからが楽しみです。

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Aaron Civale

打線は4番ヤシエル・プイグが活躍。10回の裏、満塁の場面での右翼へのこの日4本目のヒットがサヨナラタイムリーになりました。しかし、ルーキー・イヤーのセンセーショナルなデビューから考えると、成績的には寂しいものがあります。こういう姿を見ると、まだまだポテンシャルはあるんだけどなあと思っていまいます。

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その他では、サブマリンのアダム・シンバー投手が見ごたえありましたね。MLBの方が日本よりも変則的な投げ方の投手が多いような気がします。

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Adam Cimber

顔隠れてるけど、投手交代の時のテリー・フランコーナ監督。

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名将 Terry Francona

 

 

 

 

 

ラリー・ドビー(Larry Doby)像

ラリー・ドビー(Larry Doby)の銅像です。

打席から駆け出す姿の銅像は珍しいですね。躍動感が伝わってきます。

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アメリカンリーグ最初のアフリカン・アメリカンの選手です。1940年17歳の時にニグロリーグのNewark Eaglesでデビューし、第二次世界大戦で海軍に従軍後にプレーした後の1946年に復帰。Eaglesニグロリーグ・ワールド・シリーズ制覇に貢献します。

翌47年7月、ジャッキー・ロビンソンに遅れること3か月、史上二人目のアフリカン・アメリカンMLBプレイヤーとして23歳のドビーはIndiansでデビューしました。ニグロ・リーグ時代には、メジャーリーグ最初の黒人選手になるのはラリー・ドビーという見方をしている関係者もいたようです。チームメートへの挨拶する際に4人から握手を拒絶されるなど、人種の壁に苦しめられる場面もありましたが、実力で差別をはねのけていきます。

ニグロリーグで主に、セカンド、ショートを守っていたドビーですが、ショートには監督のブードロー、セカンドにはヤンキースから移籍してきた強打のジョー・ゴードンがおり、ブードローはドビーに十分な出場機会を与えられないまま47年シーズンは終わりました。しかし、翌年のスプリングトレーニングにおいて、インディアンスOBのトリス・スピーカーやファーム・ディレクターのハンク・グリーンバーグの指導を受け、外野守備を習得し、外野手としてレギュラーポジションを掴みました。52年にはホームラン王、さらに54年もテッド・ウィリアムズミッキー・マントルヨギ・ベラらの強打者を抑え、ホームランと打点の二冠王となりました。

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選手生活終盤は、Indians→White Sox →Indians →Tigers →White Soxとチームを転々として59年に引退。3年のブランクを経て62年には中日ドラゴンズでプレーしました。3年のブランクはありながら72試合で10本塁打。こんな歴史的な選手が日本に来てくれただけでもありがたく思います。

1978年にはアフリカン・アメリカンとしては、フランク・ロビンソンに続き、これまた史上二人目のMLB監督としてWhite Soxの指揮を執ることになりました。

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ルー・ブードロー(Lou Boudreau)像 2/2

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ルー・ブードローについて外せない、大きなトピックが2つあります。

 

ジョー・ディマジオの連続試合安打記録を止めた好守。

1941年Yankeesのジョー・ディマジオは大リーグの近代記録であるジョージ・シスラーの41試合、さらに19世紀のウィリー・キーラーの44試合を抜き、連続安打記録を更新しました。7月16日にはIndiansを相手に記録を56試合にまで伸ばし、7月17日にクリーブランド スタジアム(Cleveland Stadium)で行われたナイトゲームにはその年の夏最大かつナイトゲームの新記録の67,468人の観客が集まりました。

1回の表4番ディマジオに打席が回ります。カーブを捉えて三塁線への鋭い当たり。ところが、indiansの三塁手ケルトナーは、ディマジオがカーブをレフトに引っ張ることを予測し守備位置を深く取っていました。ディマジオは後にケルトナーはレフトを守っていたと回想していますから、相当深く守っていたのでしょう。懸命に打球に追いついたケルトナーはファウルゾーンから一塁に送球、当日早くに降った雨でぬかるんでいた打席からのスタートが遅れたディマジオは半歩及ばずアウト。

4回表のディマジオの打席は、Indians先発アル・スミスの制球が定まらず、フォアボール。

7回表のディマジオは初球のカーブを捉え、1回表と同じような打球。ケルトナーがまたも好守で阻みます。ケルトナーはこの日二塁打を2本ディマジオから奪ったことになります。

そして、最後の打席は8回表、一死満塁の場面でディマジオに打席が回ります。観客の心臓の音が両側から聞こえてくるようだったと感想を残しているブードローのところに打球が飛んできます。二遊間のゴロ、芝生の中の小石に当たった打球がイレギュラーしますが、ブードローが巧みに抑え、セカンドに送球。そのままセカンドからファーストに転送されダブルプレー。ついに不滅の大記録が終わりを迎えました。

https://sabr.org/gamesproj/game/july-17-1941-dimaggio-s-streak-stopped-56-cleveland-s-stellar-defense 

 

②ブードロー・シフト

1941年と言えば、ディマジオの56試合連続安打とともに、テッド・ウィリアムズが最後の4割打者となった年でもあります。当時はウィリアムズが最後の4割打者になるとは考えられておらず、ディマジオの記録ほど騒がれなかったと言われています。

さて、そのテッド・ウィリアムズが兵役による3年のブランクを経て復帰した1946年、Indansの監督兼遊撃手のブードローは7月14日の試合でテッド・ウイリアムズに対して野手6人をセカンドの右に守らせるブードロー・シフトを敷きます。日本では後の王シフトが有名ですね。ウィリアムズ・シフトという言い方もあるようですが、発案したブードローの名前を冠するのがアメリカ流なんですね。

この年のRed Sox、長距離砲はウィリアムズだけながら、切れ目のない打線が破壊力を発揮し、7月13日時点で57勝23敗とペナントレースを独走していました。7月14日はFenway Parkでのダブルヘッダー。初戦、Indiansは5-0とリードしながら、ウィリアムズに3本のホームランを許し、10-11で惜敗します。ブードローはホームランを含む5打数5安打4打点。選手兼監督としては相当悔しかったことでしょう。

続く2戦目、ウィリアムズは2回裏の第1打席で先頭打者としてツーベース。これをきっかけにRed Soxは3点を先制します。Indiansが1点を返した3回の裏、ツーアウトで4番ウィリアムズに二度目の打席が回ります。ここで、ブードローが野手をライト側に寄せる大胆なシフトを試みます。苦笑するウィリアムズ。なんと面白いことに、ウィリアムズの打球は二塁手の守備位置についていた遊撃手ブードローへのゴロになりました。ブードローは後に心理戦という面も高かったと述べています。

1959年のベースボーカードにそのシフトの図が残されています。https://joeposnanski.substack.com/p/the-boudreau-shift

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なかなか大胆な守備シフトですね。

試合は6-4でRedsoxが勝利を納めました。

かように、ブードローという方はなんともユニークな方なのでした。

 

 

 

ルー・ブードロー(Lou Boudreau)像 1/2

こちらは、ルー・ブードロー(Lou Boudreau)像です。

f:id:Beautifulballparks:20200513170647j:plainものすごく面白いというか、とても多才な方です。

1917年生まれ。イリノイ大学在学中は野球とバスケットで活躍し、1936-37シーズンでは野球とバスケットで所属するビッグ・テン・カンファレンス制覇。1937-38シーズンにはバスケットでNCAA オールアメリカンに選出。しかし、MLB Indiansから将来Indiansでプレーするという非公開契約を結び、金銭も得たため大学スポーツへの出場権をなくします。38年9月9日にIndiansで三塁手ケルトナー(Ken Keltner)に代わり途中出場でデビュー。38年はこの1試合だけの出場に終わりますが、1歳年上のケルトナーが好守の三塁手であったことから、39年にショートにコンバートされ、40年にレギュラー定着、打率・295、9本塁打、46二塁打、102打点の好成績を挙げ、この年から5年連続でオールスターに出場します。

ブードローはこの40年にイリノイ大を卒業(理学士・Bachelor of Science)します。大リーガーとしてプレーしながらオフに大学に通う選手は今もいますが、ブードローが凄いのは、さらに39年から41年にかけてイリノイ大学のバスケットボールチームの監督を務めていることです。

さらに翌1941年に監督のロジャー・ペキンホーがGMになり、チームが後任監督を探しているのを知ると、面接の機会を与えてほしいとオーナーに手紙を書き、10月24日にプレゼンを行います。当初賛成1票、反対11票でしたが、Sherwin Williams Paint Company社長ジョージ・マーティンが推奨し、最終的にIndiansの取締役会はブードローを監督に指名します。42年からは史上最年少24歳の兼任監督としてIndiansを率いることになります。尚、このSherwin Williams Paint Company社は有名なハリウッドの看板(山の斜面にHOLLYWOODの文字の看板)の白い塗装を手掛けている会社です。

そして、ボブ・フェラーのところでも書いたワールドシリーズ制覇の48年には監督としてチームを引っ張るとともに、選手としても打率・355、10本塁打、106打点を挙げてMVPに選ばれます。

監督として、ボブ・フェラーと並ぶ二枚看板のボブ・レモン(Bob Lemon)を三塁手から投手に転向させて成功(初年度は二刀流的)させた点も大きな功績です。

51年シーズンに選手としてBoston Red Soxに移籍、52年は再び監督兼務となるも、選手としては4試合の出場で引退。Indians退団後は52~54年をRed Sox、55~57年をKansas city Athletics、60年にChicago Cubsの監督を務めました。

 

Cubsの監督就任前にはCubsの専属解説者を務め、監督退任後は87年まで長くカブスの専属解説者を務めました。さらに、66年~68年にはNBA Chicago Bullsの解説を務めた他、期間不明ですがアイスホッケーのChicago Black Indiansの解説までやっていたようです。

 

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ルー・ブードローの話は長くなるので、2回に分けたいと思います。

 

 

 

マネーボール (字幕版)

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