こちらは、ルー・ブードロー(Lou Boudreau)像です。
ものすごく面白いというか、とても多才な方です。
1917年生まれ。イリノイ大学在学中は野球とバスケットで活躍し、1936-37シーズンでは野球とバスケットで所属するビッグ・テン・カンファレンス制覇。1937-38シーズンにはバスケットでNCAA オールアメリカンに選出。しかし、MLB Indiansから将来Indiansでプレーするという非公開契約を結び、金銭も得たため大学スポーツへの出場権をなくします。38年9月9日にIndiansで三塁手のケルトナー(Ken Keltner)に代わり途中出場でデビュー。38年はこの1試合だけの出場に終わりますが、1歳年上のケルトナーが好守の三塁手であったことから、39年にショートにコンバートされ、40年にレギュラー定着、打率・295、9本塁打、46二塁打、102打点の好成績を挙げ、この年から5年連続でオールスターに出場します。
ブードローはこの40年にイリノイ大を卒業(理学士・Bachelor of Science)します。大リーガーとしてプレーしながらオフに大学に通う選手は今もいますが、ブードローが凄いのは、さらに39年から41年にかけてイリノイ大学のバスケットボールチームの監督を務めていることです。
さらに翌1941年に監督のロジャー・ペキンホーがGMになり、チームが後任監督を探しているのを知ると、面接の機会を与えてほしいとオーナーに手紙を書き、10月24日にプレゼンを行います。当初賛成1票、反対11票でしたが、Sherwin Williams Paint Company社長ジョージ・マーティンが推奨し、最終的にIndiansの取締役会はブードローを監督に指名します。42年からは史上最年少24歳の兼任監督としてIndiansを率いることになります。尚、このSherwin Williams Paint Company社は有名なハリウッドの看板(山の斜面にHOLLYWOODの文字の看板)の白い塗装を手掛けている会社です。
そして、ボブ・フェラーのところでも書いたワールドシリーズ制覇の48年には監督としてチームを引っ張るとともに、選手としても打率・355、10本塁打、106打点を挙げてMVPに選ばれます。
監督として、ボブ・フェラーと並ぶ二枚看板のボブ・レモン(Bob Lemon)を三塁手から投手に転向させて成功(初年度は二刀流的)させた点も大きな功績です。
51年シーズンに選手としてBoston Red Soxに移籍、52年は再び監督兼務となるも、選手としては4試合の出場で引退。Indians退団後は52~54年をRed Sox、55~57年をKansas city Athletics、60年にChicago Cubsの監督を務めました。
Cubsの監督就任前にはCubsの専属解説者を務め、監督退任後は87年まで長くカブスの専属解説者を務めました。さらに、66年~68年にはNBA Chicago Bullsの解説を務めた他、期間不明ですがアイスホッケーのChicago Black Indiansの解説までやっていたようです。
ルー・ブードローの話は長くなるので、2回に分けたいと思います。