アメリカ野球紀行

MLBのボールパーク、歴史を中心に紹介していきます。

ルー・ブードロー(Lou Boudreau)像 2/2

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ルー・ブードローについて外せない、大きなトピックが2つあります。

 

ジョー・ディマジオの連続試合安打記録を止めた好守。

1941年Yankeesのジョー・ディマジオは大リーグの近代記録であるジョージ・シスラーの41試合、さらに19世紀のウィリー・キーラーの44試合を抜き、連続安打記録を更新しました。7月16日にはIndiansを相手に記録を56試合にまで伸ばし、7月17日にクリーブランド スタジアム(Cleveland Stadium)で行われたナイトゲームにはその年の夏最大かつナイトゲームの新記録の67,468人の観客が集まりました。

1回の表4番ディマジオに打席が回ります。カーブを捉えて三塁線への鋭い当たり。ところが、indiansの三塁手ケルトナーは、ディマジオがカーブをレフトに引っ張ることを予測し守備位置を深く取っていました。ディマジオは後にケルトナーはレフトを守っていたと回想していますから、相当深く守っていたのでしょう。懸命に打球に追いついたケルトナーはファウルゾーンから一塁に送球、当日早くに降った雨でぬかるんでいた打席からのスタートが遅れたディマジオは半歩及ばずアウト。

4回表のディマジオの打席は、Indians先発アル・スミスの制球が定まらず、フォアボール。

7回表のディマジオは初球のカーブを捉え、1回表と同じような打球。ケルトナーがまたも好守で阻みます。ケルトナーはこの日二塁打を2本ディマジオから奪ったことになります。

そして、最後の打席は8回表、一死満塁の場面でディマジオに打席が回ります。観客の心臓の音が両側から聞こえてくるようだったと感想を残しているブードローのところに打球が飛んできます。二遊間のゴロ、芝生の中の小石に当たった打球がイレギュラーしますが、ブードローが巧みに抑え、セカンドに送球。そのままセカンドからファーストに転送されダブルプレー。ついに不滅の大記録が終わりを迎えました。

https://sabr.org/gamesproj/game/july-17-1941-dimaggio-s-streak-stopped-56-cleveland-s-stellar-defense 

 

②ブードロー・シフト

1941年と言えば、ディマジオの56試合連続安打とともに、テッド・ウィリアムズが最後の4割打者となった年でもあります。当時はウィリアムズが最後の4割打者になるとは考えられておらず、ディマジオの記録ほど騒がれなかったと言われています。

さて、そのテッド・ウィリアムズが兵役による3年のブランクを経て復帰した1946年、Indansの監督兼遊撃手のブードローは7月14日の試合でテッド・ウイリアムズに対して野手6人をセカンドの右に守らせるブードロー・シフトを敷きます。日本では後の王シフトが有名ですね。ウィリアムズ・シフトという言い方もあるようですが、発案したブードローの名前を冠するのがアメリカ流なんですね。

この年のRed Sox、長距離砲はウィリアムズだけながら、切れ目のない打線が破壊力を発揮し、7月13日時点で57勝23敗とペナントレースを独走していました。7月14日はFenway Parkでのダブルヘッダー。初戦、Indiansは5-0とリードしながら、ウィリアムズに3本のホームランを許し、10-11で惜敗します。ブードローはホームランを含む5打数5安打4打点。選手兼監督としては相当悔しかったことでしょう。

続く2戦目、ウィリアムズは2回裏の第1打席で先頭打者としてツーベース。これをきっかけにRed Soxは3点を先制します。Indiansが1点を返した3回の裏、ツーアウトで4番ウィリアムズに二度目の打席が回ります。ここで、ブードローが野手をライト側に寄せる大胆なシフトを試みます。苦笑するウィリアムズ。なんと面白いことに、ウィリアムズの打球は二塁手の守備位置についていた遊撃手ブードローへのゴロになりました。ブードローは後に心理戦という面も高かったと述べています。

1959年のベースボーカードにそのシフトの図が残されています。https://joeposnanski.substack.com/p/the-boudreau-shift

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なかなか大胆な守備シフトですね。

試合は6-4でRedsoxが勝利を納めました。

かように、ブードローという方はなんともユニークな方なのでした。