アメリカ野球紀行

MLBのボールパーク、歴史を中心に紹介していきます。

ラリー・ドビー(Larry Doby)像

ラリー・ドビー(Larry Doby)の銅像です。

打席から駆け出す姿の銅像は珍しいですね。躍動感が伝わってきます。

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アメリカンリーグ最初のアフリカン・アメリカンの選手です。1940年17歳の時にニグロリーグのNewark Eaglesでデビューし、第二次世界大戦で海軍に従軍後にプレーした後の1946年に復帰。Eaglesニグロリーグ・ワールド・シリーズ制覇に貢献します。

翌47年7月、ジャッキー・ロビンソンに遅れること3か月、史上二人目のアフリカン・アメリカンMLBプレイヤーとして23歳のドビーはIndiansでデビューしました。ニグロ・リーグ時代には、メジャーリーグ最初の黒人選手になるのはラリー・ドビーという見方をしている関係者もいたようです。チームメートへの挨拶する際に4人から握手を拒絶されるなど、人種の壁に苦しめられる場面もありましたが、実力で差別をはねのけていきます。

ニグロリーグで主に、セカンド、ショートを守っていたドビーですが、ショートには監督のブードロー、セカンドにはヤンキースから移籍してきた強打のジョー・ゴードンがおり、ブードローはドビーに十分な出場機会を与えられないまま47年シーズンは終わりました。しかし、翌年のスプリングトレーニングにおいて、インディアンスOBのトリス・スピーカーやファーム・ディレクターのハンク・グリーンバーグの指導を受け、外野守備を習得し、外野手としてレギュラーポジションを掴みました。52年にはホームラン王、さらに54年もテッド・ウィリアムズミッキー・マントルヨギ・ベラらの強打者を抑え、ホームランと打点の二冠王となりました。

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選手生活終盤は、Indians→White Sox →Indians →Tigers →White Soxとチームを転々として59年に引退。3年のブランクを経て62年には中日ドラゴンズでプレーしました。3年のブランクはありながら72試合で10本塁打。こんな歴史的な選手が日本に来てくれただけでもありがたく思います。

1978年にはアフリカン・アメリカンとしては、フランク・ロビンソンに続き、これまた史上二人目のMLB監督としてWhite Soxの指揮を執ることになりました。

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