バド・セリグ(Allan "Bud" Selig)像
先々代のオーナー、長くMLBのコミッショナーを務めたバド・セリグ像です。
経営者の銅像が球場の前にあるというのは、日本では考えられませんね。
日本ハムの大社前オーナーとか、福岡なら孫さんと中内功さんの銅像を並べてもいいような気もします。
セリグ氏ですが、オーナーとしての実績を考えれば、銅像があっても当然なのかもしれません。
セリグ氏は1934年にユダヤ系の家庭に生まれ、家業のリース事業を手伝い、カーリースを拡大します。1953年にBoston Bravesがミルウォーキーに移転すると、徐々に株式を買い集め、最終的には筆頭株主になります。しかし、筆頭株主とはいえ、持ち分がマイナーであったことから、Bravesのアトランタ移転を阻止できませんでした。その後はWhite Soxにミルウォーキーでの主催試合を持ちかけて成功し、エクスパンションで誕生するも一年で経営破綻したSeatlle Pilotsを買収して、ミルウォーキーに移転しBrewersとします。これが1970年ですから、36歳の時ですね。大企業の経営者ではなく、必ずしも潤沢な資金があったわけでもない中、野球をビジネスとして成功させる自信と計算と情熱がなければできないことです。若い頃に好きだったハンク・アーロンをアトランタから呼び戻して最後の2年をミルウォーキーでプレーしてもらうというのはファン冥利につきることですね。
3地区制とワイルドカード導入によるポストシーズン拡張(94年)
Interleague(公式戦での交流戦)開始(97年)
球団拡張(98年 Arizona Diamondbacks とTampa Bay Devil Rays )
ジャッキー・ロビンソンの背番号42を全球団の永久欠番に(98年)
ジャッキー・ロビンソンデー制定(2004年4月15日)
WBC開催(2006年)
など、2015年までの長期間にわたり、コミッショナーとしてMLBの改革、経済基盤の拡大に貢献しています。選手会との交渉が決裂し94年にストライキが起きたことなど、批判される点もありますが、MLBを盛り上げ、経済的にも大きく成長させたことは大いに評価されていいと思います。また、ドーピング問題についてもかなり厳しく対応されていた印象があります。